大谷翔平選手と上杉鷹山

こんにちは。Larkです。

先日の大谷選手の記事を書いていて「謙虚」のキーワードが頭の中に引っ掛かり、「謙虚」「感謝」「礼節」を問い続けた『上杉鷹山の教え』が大谷選手のイメージとぴったりだなぁと感じた事で、改めて本棚から「上杉鷹山に学ぶ」を引張り出して見返してみました。改めて本を読んで感じた所感やメモを記したいと思います。

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上杉鷹山とは

上杉鷹山

簡単に上杉鷹山についての説明です。この本の「はじめに」にも記載されいてますがジョン・F・ケネディ大統領に「日本で最も尊敬する政治家は?」⇒「上杉鷹山です」と言わしめたと書かれています。僅か15歳で10代目の米沢藩主となり、藩領を幕府に返上する という話がでる所まで赤字財政で追い込まれていた米沢藩を再建した名指導者です。よくリーダーシップに関する講義で取り上げられますね。藩主になった時、自分の心境と覚悟を次の様に歌った(神に誓った)とあります。

受け継いで、国のつかさの身となれば 和するまじきは民の父母

「領民たちの父となり、母となる。」これを実行するという事は容易な事ではありません。鷹山の師として本文でも紹介されている「細井平洲」は

「學思行相須つ(がくしこうあいまつ)」(学び、考え、実行 することの三つがそろって、初めて学んだことになる)

実行・実践して初めて学んだことになる という様に「実践」を重んじていました福沢諭吉の「学問のすゝめ」と似たような事を彼より前から説いている様です。鷹山はこれを学んだ上で上記の誓いをしている為、相当な覚悟(15歳で)した事が想像できます。

本文には「神に誓うということは、自ら謙虚でなければらなない。鷹山は自分自身を怠りやすく誤りやすい人間である事を認識し、その弱さを戒めようとして、神の前に誓った」「人は自らの弱さを認めた時、強烈な力の持ち主となる。反対に自らを過信した時、その傲慢さによって身を滅ぼす」とあります。

明らかな逆境の中で上記の様な誓いをする15歳・・・。末恐ろしい人物です…。

鷹山がやった事

倹約令

鷹山が誓文を奉納した後に、大検令を発布しました。具体的には、神事・仏事の行事の取止め/延期、祝宴・贈答の禁止、「一汁一菜、木綿着用」、女中の削減 と徹底的なコストカット…。当然ながら多方面からの反発。。。これに対して、徹底した「誠意」「誠実さ」「慈愛」が全面に現れる形で丁寧に実情を説明し、理解と求心力を得ていきました。「慈愛」…ロウバイの花ことばででてきたな…。やっぱり良き。

それでもなお、謀反・反逆が一部でありましたがその意見に対しても

「自分がこれまで固く信じ、誠心誠意やってきたことも、見方を変えれば、あるいは間違いがあったのではなかろうか。謙虚は心を虚にすることである。従来の一切のことをもう一度白紙の立場から見直し、価値観を変えてみる必要が、あるいはあるのではないだろうか」とより間違いのない道を目指すために、責任ある者として是非の判断に誤りがないよう反省を重ねたとあり、この処分をする上で、慎重かつ誠実な対応をとりながらも「初志貫徹」、「勇気の決断」を実行しています。

農民の意識改革・教育体制

赤字経営で年貢をとりたてられ、農民は疲弊していた事もあって、農地は荒れ果て荒廃していた状況だった様です。目先の生活のみに追われて長期的な視野を持つ事もできなかった環境に、「籍田の礼」として開墾地に自ら鍬をとって開墾の行事を行い「自らやってみせる」(五十六か!!)農民は理屈抜きで感動し精を出す様になったといいます。加えて、教育体制の強化として、農村の実情や進行状況の報告と共に意見交換、農民教育と啓蒙を進め、ここには道徳教育も含まれていたという事です。更には役人の不正や年貢の取立てにあたって理不尽な事が無い様にこれらの監視も細かく指示をしていた様です。

鷹山が平洲から学んだ学問は、領民を「有徳の民」とすることであり、人間として何をすべきか、何をしてはいけないか、それをわきまえた人々によって形づくられる社会が、学問の窮極の理想だったとあります。利益を求めるテクニックやノウハウではなく人の在り方としている点に関しては、渋沢栄一と同じ様な共通点を感じます。

財政の透明性、歳入の公開

危機的な財政状態を理解してもらうためにも、藩の重要な帳簿を一般家臣にも公開したとあります。経済の再建には民衆一人一人の協力が必要であり、具体的な施策を打ち出すとともに、意義を懇切丁寧に伝え、周知徹底する事で自発的に協力してもらえる様に透明性見える化をして一蓮托生、一体感を強めていったようです。

緊急時の備えと適切な指示

民主党の大震災での対応と裏腹に、米沢藩天明の大飢饉という大トラブルを見事に乗り切っています。本文では、鷹山の先見力として記載されていますが、事前に危険予知した鷹山は米の備蓄を飢饉の9年前より開始し、備蓄倉庫と備蓄を推し進め、民間でも備蓄に応じて奨励金を与え推進していったと書いてあります。飢饉の年にも、「気候が不順で稲の穂が出遅れている。用心を第1にして大麦を蒔き、来年の食糧の助けにする様に。油断する事なく麦作をすすめよ。~普段から粥を食べる様にし、食料の足しになるものは利用し用心せよ。」と警戒し実際に飢饉がくると備蓄を開放し「余裕が有るものでも粥を用いて、足りない物には補う様に。国中が一家の様に考えて国中に行き渡るように心掛けよ」と具体的な指示が功を奏して、他藩では混乱と大量の餓死者が出る中で1人も藩内で餓死者を出さなかったといいます

領民の幸福を第1とする積極策

上杉鷹山は倹約のイメージが強いけれども、使うべき所にしっかりリソースを注いでいます。年貢の分割納入をゆるし、桑畑の開発を助成し、養蚕の奨励、織物の技術者を招いて国産麻織物の生産に力を入れ産業振興を進めた。更には国産馬の開発(良馬を買入れ飼育し馬市を開催)や大規模な灌漑事業等、領民の悩み有能な人材登用と意見書にしっかり耳を傾け、生産性の改善に繋がる積極策にしっかりリソースをさいています。

メモしておきたい鷹山の言葉

なせば為る 成さねば為らぬ 何事も 成らぬは人の なさぬなりけり 」

やろうと思えば何でもできます。できないのはやろうと思わないからです。やろうとする事は他人の為ではなく、自分の為になるのです。

<夏の夕:再建に向けた決起の一文>

「およそ天下のことを開始するに当たっては、30日前からその理由などを十分検討しておき、それが開始されてからは、実行上変わってしまう事のないように、30日毎に調査と討議を反復し、一日たりとも中断しない事が必要である。このことを昔から『終リテ則チ始メ有リ』といっている。~ものごとがある方向へ行くであろうと予想されれば、それに対してはこのように対策を立てるというふうに、配慮しておくことが当然である。それをしないで、実際上問題が起こってから、あれこれ苦労しても、すでに効果はない。ことが進行しはじめてから努力してみても、その努力している中に、すでに失敗の要素が生じつつある。そんなわけだから、対策としてたてられた方法はいくらいいものであっても、その方法だけに任せておいて、配慮や尽力をしなかったら、決して成功するものではない。~目先だけが何とかなっていれば、人間はとかく緩みがちになるものである。これは誰にもあることだから、時々幹部には鞭を加えて、先に述べたように、間断なく検討を反復させることが肝要である。~」

<参姫に送った書面の現代語一部抜粋>

「学問は元来、自分の身を修める道を知るためのものである。昔のことを学んで、それを今日のことに当てはめ、善いことを自分のものとし、悪いことは自分の戒めとされよ。和歌を学べば、物の哀れを深く知るようになり、月花に対して感興を深くし、自然に情操を高めることとなるであろう。」

最後に

この様に、上杉鷹山はリーダーとして上に立つ「人間性・胆力・先見性」を有している人格者な訳ですが、知れば知るほど(分解して見れば見るほど)不思議と大谷翔平選手からも同じ何か共通点を感じる訳です。大谷選手の茶目っ気は無かったでしょうが…。

今の政治家に一番足りないのはこの「倫理観・道徳観・人間性」な気がするぜ…。

 

繰返しになりますが、備え有れば憂いなし。有事の際に大切な家族を守る為にどんな家にするか?(躯体や性能の安心安全、耐久性)が最優先。そして、自分を奢らず支払い能力とキャッシュフロー、家計の財務状況を把握し倹約に努めて必要な投資と子供の将来への投資・教育(実益にならない勉強ばかりではなくスポーツや体験学習など)にリソースを投入せよ!と言われている気がする・・・・。

暫くの間は翔平を見るたびに鷹山の渋い顔が浮かんできそうだ(笑)