「考える力」について

 

こんにちは。Larkです。

本日は建築も庭も関係ない概念的な話になってしまいますが、ブログのタイトルにもあるように「真剣に考える」の「考える力」について記事にしたいと思います。

私は小さい頃「国語」が苦手で嫌いな科目であり、「読書」もしない(読むのは漫画)子供でした。大学に入り、工学を学ぶ中で参考書や学術論文・レポート、参考文献を読む事が増え、その辺りからか「活字」への抵抗感やハードルが一気に低くなってきた時に「タングステンおじさん」という本に出会い、「本って面白いもんだなぁ」と目覚め、本が好きになりました。

本を読むと、その瞬間は知った気分、理解した気分になるのですが、いざ説明を求められたり、要点を問われるとそうではなかった事に気づき「ハッ」とする訳です。要は自らで「考える」事をして、消化・吸収できていない訳です。

そこで、本日のテーマなのですが、「考える力」について触れたいと思います。

TVでも良くコメンテーターとして出演される事も多い 斎藤 孝 さんの「アイディアを10倍生む 考える力」を引用しつつ、コメントしていこうかなと思います。

「考える」事の意味と基礎

「考える」とはアイディアを生み出す、レポートや原稿を書く、プレゼンテーションをするなど、生産的なことに結びつく脳の作業 と捉える

とあり、「思う」「悩む」とは異なる状態とあります。また生産的なアウトプットの作業であると。レポートや報告書、今回の様なブログの作文の様なアウトプット作業は強制的に「考える」事が求められるようです。

「考える」ことには、言葉を道具として使う技の側面があって、言葉を操る事になれていないと「考える」という脳の運動ができない。

「考える」とは基本的には言葉を操り、「意味」を生み出す技術だ。

また、言葉を自由に操れるかが大切「価値」や「意味」をもたらす「技術」とあります。

自分の脳の中に散らばっているいろいろな情報を結びつけていく。この作業こそ「具体的に考える」ということなのだ

アイディアを生み出す「考える」という作業は、新しい視点、新たな切り口でものを見ているかどうかにかかっている

そのまま横流しにするのではなく、自らの切り口新しい視点情報を再構成したり意味の繋がりを発見する事が「考える」事の基本なわけです。たくさんある情報を連結したり再構成する作業を確かに行っている気がします。

(スポーツのルール(制限)を例に)制限がある事で、いま何を考えなければならないかがわかる。制限を上手に加える事で、思考を進める事ができるのだ。

なるほど。本ブログも「テーマ」による制約を決めないと「方向性」が定まらず、手がすすみません。

ちょっとしたおもいつきだけで、アイディアをまとめると必ず途中で行き詰る

全体の構成や目的を明確にする事が大切なわけですね。ブログの書き方と検索すると確かに同じ様な指摘をされています。

自分がやりたい仕事において、何が障害であって、これからどうすれば克服できるのかというアイディアを手帳やノートに書き連ねてみる。いつでもどこでも課題を紙に書いて持ち歩く習慣をつけるのが、生産的に考える力の基本だ。

本ブログを書き始めて、いろいろなテーマや課題について、「下書き」にメモをする習慣がつきましたが、「良い家を建てる」という目標に対して、ブログ制作の作業が結果としてものすごい有用である気がします。

イチローを例にあげて)一流の人は自分自身で自分に具体的な課題を与える事ができ、それをクリアするように努力し、検証して自分のものにするという技を習慣化して身につけているのだ

家づくりでもたくさんの決断をする必要がありますが、どれだけ適切に課題設定できているか?「考え」られているか?は確かに大切な要素な気がします。そして、ブログを始めて気づいた点ですが、確かに「思考」が「習慣化」されてきている気がします。そして、自分にとってもアウトプットする技術としてプラスに働いている気がします。

具体的に考える技術を鍛えるには??

思い込みや決めつけを取り払え。視点を移動させ、見方を変える(視点を移動させる)事ができるか。

光の性質(波動性・粒子性)を例にあげて先入観を捨てる事の重要性を問うています。今では道徳教育何でしょうか?欧米でよくやるディベート的な要素でそれぞれの立場で考える機会をもつ事は確かに重要と感じます。答えが無い問題が多い中で、多様な価値観の中でそれぞれの正解があると思う。

私たちは一度「こういうものだ」と思ってしまうとその観念から抜け出せない。そこから抜け出せなければ、新たな発想、アイディアなどはなかなか生み出せないのだ。

比較的に頑固な性格で、決めつける行為をしがちなLarkにはささる言葉。一般論で語らないで、具体的に、隅々まで詳細を見る、個々をしっかり見る事、相手の立場で考え視点を変えられているか?は大切な作業。人の話を聞く行為や傾聴も視点を変える訓練に思う。詳細をみるに関してはトラブルの時は特になんでそうなったのか?本質は何か?が大切だったりする。常に意識しておきたいPOINTだ。

もしも~だったら?、と条件を想像力の世界でどんどん変更を加えてみる。すると本質がみえてきやすい。
ある条件を変えると、他のことまで連鎖していろんな事が変わってくる。
変化を考えるうちにアイディアが湧いてくる

その通りだと思う。時間は時として怒りや悲しみの感情を和らげてくれる一方で、ある問題を時間と共に形骸化して当たり前にしてしまう物が多い。ある対策を考える時、制約が外れる事で芋ずる式にこんな効果もあったのか!?という発見も…。次はこうしようというポジティブな連鎖に繋がる気がする。

具体と抽象を往復する力が重要。東大の入試問題は「難解な文章を読ませ、分かり易く説明せよ」という「抽象度が高い文章を読ませてそれをクリアに誰でもがわかる言葉に置き換え、具体性をもって説明することができればその文章が良くわかっている」という事だ

本の要点を説明するという行為はまさにこれだと思った。尊敬する大学の研究室の先生はこの技術がずば抜けて凄かった。実験データや論文のディスカッションでも「要はこういう事でしょ?」と逆の抽象化技術も具体化・説明能力も卓越していた。訓練や経験からきていると思うが「学者・教授」はこの具体化⇔抽象化の技術は一般的にも高いと感じる。

 

他にもいろいろな技術が紹介されているが、付加価値や新しい意味につなげる行為が「考える」にあると思う。「人間は考える葦だ」とパスカルは言った。考える事は偉大な力である と。AIが直近発達しているのもいろいろな情報の連結技術が発達したからと思うが、やはり人でしかできない「考える力」を見過ごしてはいけないし、鍛えていく必要があると思う。改めて、ブログを書く行為はこの訓練に役立っていると感じる。時間の許す限り、もう少し続けてみたいと思う。

最後に、上記の本はブックオフで100¥でした。お薦めです。