こんにちは。
Larkです。
本日は、「WABISABI(侘び寂び)」と「陰翳礼讃(いんえいらいさん)」をテーマにしたいと思います。Wikiによると侘びだけで下のボリュームです。
「侘(わび、侘びとも)とは、辞典の定義によれば、「貧粗・不足のなかに心の充足をみいだそうとする意識」[6]を言い、動詞「わぶ」の名詞形である。「わぶ」には、「気落ちする」「迷惑がる」「心細く思う」「おちぶれた生活を送る」「閑寂を楽しむ」「困って嘆願する」「あやまる」「・・・しあぐむ」[7]といった意味がある。
本来、侘とは厭う(いとう)べき心身の状態を表すことばだったが、中世に近づくにつれて、いとうべき不十分なあり方に美が見出されるようになり、不足の美を表現する新しい美意識へと変化していった。室町時代後期には茶の湯と結び付いて侘の理解は急速に発達し、江戸時代の松尾芭蕉が侘の美を徹底した[6]というのが従来の説である。しかし、歴史に記載されてこなかった庶民、特に百姓の美意識の中にこそ侘が見出されるとする説が発表されている[2]。」
『万葉集』では、恋愛におけるわびしさを表す意味で用いられる場合が多い。
江戸時代の茶書『南方録』が初出と言われる。わびしさが単に粗末であるというだけではなく、美的に優れたものであることに注目するようになっていった。
茶室はどんどん侘びた風情を強め、「床壁の張付を取り去って土壁とし、木格子を竹の格子とし、障子の腰板も取り去り、床のかまちが真の漆塗りであったのを木目の見える程度の薄塗りにするとか、またはまったく漆を塗らずに白木のままにした。」[11](『現代語訳 南方録』「棚 一茶室の発達」p.225-226熊倉功夫 中央公論社 2009)張付けだった壁は民家に倣って土壁」『南方録』)になり藁すさを見せた。茶室の広さは「4畳半から3畳半、2畳半に」[12]、6尺の床の間は5尺、4尺へと小さくなり、塗りだった床ガマチも節つきの素木になった。
岡倉覚三(天心)(1863-1963)の著書『The Book of Tea(茶の本)』の中では「茶道の根本は‘不完全なもの’を敬う心にあり」[15]と記されている。この“imperfect(不完全なもの)”という表現が侘をよく表していると言える。英語で書かれた同書を通じて侘は世界へと広められ、その結果、日本を代表する美意識として確立されていった。
大正・昭和時代には茶道具が美術作品として評価されるようになり、それに伴って、侘という表現がその造形美を表す言葉として普及した。
寂びは以下です。
寂(さび、寂び、然びとも)は、「閑寂さのなかに、奥深いものや豊かなものがおのずと感じられる美しさ」[6]を言い、動詞「さぶ」の名詞形である。
本来は時間の経過によって劣化した様子を意味している。漢字の「寂」が当てられ、転じて「寂れる」というように人がいなくなって静かな状態も表すようになった。さびの本来の意味である「内部的本質」が「外部へと滲み出てくる」ことを表す為に「然」の字を用いるべきだとする説もある[17][2]。ものの本質が時間の経過とともに表に現れることをしか(然)び。音変してさ(然)びとなる[18]。この金属の表面に現れた「さび」には、漢字の「錆」が当てられている。英語ではpatina(緑青)の美が類似のものとして挙げられ、緑青などが醸し出す雰囲気についてもpatinaと表現される。
「さび」とは、老いて枯れたものと、豊かで華麗なものという、相反する要素が一つの世界のなかで互いに引き合い、作用しあってその世界を活性化する。そのように活性化されて、動いてやまない心の働きから生ずる、二重構造体の美とされる[6]。
吉田兼好(1283-1352頃)『徒然草』(1330~1349ごろ成立) 兼好は出家僧であり、「己をつづまやかにし、奢りを退け、財(たから)を持たず、世を貪らざらんぞ、いみじかるべき」(『徒然草』第十八段)と述べており、禅の生き方を理想としていることが読み取れる。侘の美意識とも重なる。また、兼好が生きた中世には『平家物語』や『方丈記』が成立し、無常観が意識されていた時代でもあった。兼好は「これまでにない高度で深遠な美的態度を表明した。この頃には寂しいもの不完全なものに価値を見出し、古びた様子に美を見出す意識が明瞭に表現されていたことが確認される。寂は室町時代には特に俳諧の世界で重要視されるようになり、能楽などにも取り入れられて理論化されてゆく。寂をさらに深化させて俳諧に歌ったのが江戸時代前期の松尾芭蕉(1644-1694)である。芸術性の高い歌を詠み、その独自な趣は蕉風と呼ばれた。寂は芭蕉以降の俳句では中心的な美意識となるが、芭蕉本人が寂について直接語ったり記した記録は非常に少ないとされる。さびしさをそのままさびしいと歌ったのみでは歌の評価は低い。歌の中に「さびしさを詠み込むことであったのであり、鑑賞する側から言えば、叙述された景の中にさびしさを読み取ること」[19](前出『さび ―俊成より芭蕉への展開―』p.87)が必要である。このあり方が歌の、絵の、茶の湯の、美を高める。しかも、それが自然にありのままになされるところが肝要である。わざとらしさ、ことさらな演出はかえって作り物の偽物になってしまうからである。[23]そして、常時寂の境地にあることができるもののひとつが旅であった。「さびと孤独とのかかわりは、旅を通してあるいは草庵を通して、…すこぶる緊密である。」[24]芭蕉は草庵に住み、また、漂泊の旅の中で歌を詠み続けた。これは「人をして孤独の極に立たしめ、自己の内部における寂しさの質の転換を迫る場所」である。「本来、否定されるべきさびしさは、肯定すべき境地としての位置を占める」[19]「寂びしい自分の姿を超越した絶対的な静寂がそこを支配している」(同)という根源的事実の表現である。ここに寂び観の本質があり、これが仏教の根本と重なるのである。
現代人においては、「飽く処を知らぬ慾望を節制して足るを知り分に安んずることを教える自己批判がさびの真髄ではあるまいか」とも言うのである。このような境地に立つときに見えてくる、古いものの内側からにじみ出てくるような、外装などに関係しない美しさが寂びなのである。例えば、コケの生えた石がある。誰も動かさない石は、日本の風土の中では表面にコケが生え、緑色になる。日本人はこれを、石の内部から出てくるものに見立てた。
また、内部的本質から外部へと滲みでてくる「然び」には、エイジング、錆びついていく、古めかしく「渋み」が出たアンティークの意味合いがある[2](前出『侘び然び幽玄のこころ』p.173)。このように古びた様子に美を見出す態度であるため、骨董趣味と関連が深い。たとえば、イギリスなどの骨董(アンティーク)とは、異なる点もあるものの、共通する面もあるといえる。寂はより自然そのものの作用に重点がある一方で、西洋の骨董では歴史面に重点があると考えられる。
長い歴史の中で否応なくぎりぎりの侘しさや寂しさの中で日常を送ってきたのが、庶民であった。寂しさや侘しさに浸りきってしまっては生活は成り立たない。生きていくためには、「自己の内部における寂しさの質の転換」をなさないわけにはいかない。「否定されるべきさびしさは、肯定すべき境地としての位置を占める」しかないのである。「諦めと受け入れの意識の中で生きるのであれば、侘び寂びの生そのものである。日常の生活空間である。しかし、この生は未だ「美にまでには昇華されていない。」 そのためには、そのような侘しさ寂しさの生を生きながら、「ふと我に返り達観した思いの中で今を見詰め許容し、その人生乃至その時を愛でる」ことがなければならない。この時の美は歴史の表舞台には現れないが、庶民の生活の中に息づいてきた。わびさびは、この現実の生活を営みながらも「世俗を離れ」「飾りやおごりを捨て」、さらには「いっさいを否定し捨て去ったなかに」見えてくる、「人間の本質」に直結した美意識である。それゆえ、否定し捨て去る度合いによってそれぞれに深浅の差があるにしても、「日本人の一般的な生活感情の領域にまで影響を与え、今日に至っている」のである。
歴史に残る侘び寂びのみならず、庶民の生活の中にも侘び寂びが見出されることによって、侘び寂びは日本の美意識、日本の哲学であるといえる。
余計な文をエイっと消してこのボリューム感です。
ですが、この侘び寂びの考え方…個人的には大好きです。私が間取りを参考にした(パクった)伊礼先生の「諫早の家」に惹かれたのは、豪華で完成された和室でなく2畳の畳コーナーに「侘び寂び」を感じたのかもしれません。(使用用途から結局3畳に変更しましたが…)
豪華な金閣寺ではなく、素朴な銀閣寺に惹かれたり、苔庭や枯山水、時を感じる神社仏閣(伊勢神宮とか)、自身の好みとして「侘び寂び」を感じれるPOINTはどこかに入れたいと感じていた様です。
次に「陰翳礼讃」です。暗がり、影に美しさを見出すわけですが、「侘び寂び」の中の不完全性や寂びの意識に非常に近しいと感じます。
上記のアイキャッチ画像はまさに「陰翳礼讃」な佇まいを切り取って作成しました。今回の建築設計に「侘び寂び」「陰翳礼讃」を反映させたいと感じておりまして、自分が考えている手法を紹介します。
2.和室の開口と照明をMinに、暗く
3.開口(窓)の先に季節を感じる植栽を設置
4.格子の配置
5.和の雰囲気を最大限出す為、陰影をしっかり出す為に漆喰壁に
6.和の雰囲気を最大限出す為に、天井を木(シナ)に
7.(見切り)線を減らす(真壁のThe和室でない)
8.照明にこだわる。
漆喰壁やシナ合板は伊礼先生の本・作品を見ていてたらやりたくなります。玄関吹き抜け上の照明をマユハナ2連にするので、この光は格子を通して正面に移ります。畳上の天井は何もつけずに(プロジェクター設置するしすっきりさせたいので)スタンドライトと壁面へ一つシンプルなコイズミのプニプニ照明1つで暗がり空間をつくって勝負する予定です。(中村好文さんのシェルハウスでも使用されている様ですね)
西側にはホール正面の窓のみでスタディコーナー後ろ側面に窓を配置していないので、この暗い空間から東の明るい空間・地窓外へ視線を抜いている形をとっており、見え方は本当に楽しみです。また、2Fリビングの勾配天井の明・開空間と小上がり和室空間の暗・狭空間との重なり・連なりによる「奥行き感」がどう出来上がるか、、、我ながら愉しみです。
ちなみに、ここら辺の広がり・抜け・奥行・重なり・間などのmethodについては「五感で楽しむ間取りの図鑑」が大変参考になりましたので共有致します。
本日は以上です。